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大人のピタゴラスイッチ 数ピタ!

今年も放送されました。大人のピタゴラスイッチ
仁さんはフルーツの柄の入ったシャツを着て登場。とても似合ってました。
今年のテーマが数学と聞いた途端、「あっ急用を思い出しちゃった!それじゃ百科おじさん、また来年!」と言って帰ろうとします。
百科おじさんは仁さんを引き留め、ピタゴラスイッチはものの考え方を伝える番組なので今回は数学の計算や公式ではなく、数学の考え方を紹介すると言います。
今年も出ました、「テレビのジョーン!」


■スレスレ3D

バウムクーヘンを切ったような形や鉄棒のような形の物体がどんな穴を通過するかは想像できましたが、最後の斜めの棒は想像できませんでした。「スレスレの穴はどんな形?」という問題を「一周させてカットするとどんな形?」に変換することによってグンと解きやすくすることができるそうです。


■どっちが長い?

紙に書かれた折れ曲がった線を鏡を使って直線に変換し、長さを比べるという変換の考え方を利用。紙に書かれた線は曲がったままですが、鏡の中には確かにまっすぐな線が存在します。不思議!


■ぼてじん
ぼてじんへ問題が出題されます。

この先に、4×4の赤と白のマスがあります。
すべてのマスを通って、ゴールまで行けるかな?
※ただし、同じマスを2回通ってはいけません。

仁さんはぼてじんの付いた指し棒を使い、「ぼてぼてぼて…」と全部のマスを通ることに挑戦しますが、上手くいきません。
仁さんが「ひょっとしてできないんじゃないですか?」と聞いてみると、百科おじさんは「その通り」と答えます。「やーっぱり!」とちょっとだけ得意になる仁さんですが、百科おじさんに「なぜこの問題ができないか証明できますかな?」と聞かれてしまいます。「しょ、証明…?」とうろたえてしまいます。可愛い…。何となくそうじゃないかという気はしても、実際に証明するのは難しいですよね。

マスには赤と白の二色に塗られており、スタートである一歩目は赤。二歩目は白。赤白赤白と交互に踏んでいく規則。つまり、奇数のマスは赤、偶数のマスは白。一方、ゴールの16歩目は白でなければならないのに、ゴールの色は赤。ということは、全部のマスを通ってゴールすることは不可能。赤白に塗り分けされていると凄く分かりやすくなりますね。
ちなみに、マスを一つ潰すと移動するコマが15コマ(奇数)になるので、簡単に成功します。


■がんばれ!装置153番のマーチ
ピタゴラスイッチって一発で成功するイメージがあったので、50回以上失敗するのが意外でした。きっちり計算して設計図を作ってから作ってると思うのですが、力の強さとか方向とか、摩擦とか些細なことで狂っちゃうのかな。スタッフの皆さん、お疲れ様でした。


■現れる数理
4つの車輪が付いた車。動くと軌道が円を描くようにできている。右と左の車輪から当てられたレーザーが通る点を軸に車が回る。円の接線を引いて、垂直に線を伸ばすと円の中心を通る。車輪から当てられたレーザーが円の接線。二つのレーザーの交わるところが円の中心。


■チョコスティックが10本乗ったお皿が5皿。チョコスティックの重さは一本10グラムだが、1皿だけ全部11グラムのお皿がある。一本11グラムのお皿はどれか?ただし、秤を使っていいのは一回だけ。

10本アニメに出てきた下一桁に11グラムの本数が現れるというのがヒント。1番目のお皿から一本、2番目のお皿からは2本、3番目のお皿からは3本、4番目のお皿からは4本、最後のお皿からは5本取って、秤に乗せると154グラム。ということは、11グラムの本数は4本なので、4番目のお皿が11グラムのチョコスティックの乗ったお皿。
この考え方は楽しいですね。


今年は2本立てじゃなくて少し残念です。でも、分かりやすく数学を学ぶことができました。私も数学は苦手なのですが、観ていて問題が解けた時の快感を味わえましたよ。多分、数学は難しいものだという固定観念がよくないんでしょうね。それから、やっぱり仁さんのキャラは教育番組に向いているなあと思いました。すっかり教育番組のお兄さん(お兄さんと呼ぶにはかなり微妙な年齢でもお兄さんと呼ばれてるから多分大丈夫だろう)が板についてましたね。
この番組がお正月恒例の番組になってくれると嬉しいなあ。

よいお年を

しばらく何も書かない日が続きました。
プライベートでのゴタゴタがあり、書きたいと思うこともなく、モチベーションが続かない状態が続いていました。

今年は去年と比べて観劇の回数があまりに少ないので、ベスト5を決めようがありません。ちなみに観に行った作品は以下の通り。

のぞき穴、哀愁(MONO)
ビルのゲーツ(ヨーロッパ企画
おとこたち(ハイバイ)
ノケモノノケモノ(KKP)
万獣こわい(ねずみの三銃士)
社長吸血記(ナイロン100℃

個人的には「おとこたち」が大ヒットでした。
来年は、もっとたくさん観劇できればいいなあ…。

それでは、みなさまよいお年を。
私は例年通り、ゆく年くる年を観ながら新年を迎えようと思います。

(ああ、今年は紅白観なかったなあ…。大晦日は主にソチオリンピックフィギュアの再放送とNHKEテレでクラシック番組を観てました。第九が素晴らしかったです)

片桐仁×向井理×片桐はいり ばらばらの友情

先日、「ボクらの時代」を観ました。
場所は青山迎賓館。
ゲストが片桐仁さん、向井理さん、片桐はいりさんの回です。


仁さんの唇がぷっくりつやつや。透明なグロスでも塗ってたんでしょうか。
そして、向井さんの年齢は32。仁さんが言っていたように、30代には見えない。肌綺麗だよなあ。流石、肌男。


ちょこっと映った舞台版「小野寺の弟・小野寺の姉」の映像。
仁さんの演技がラーメンズっぽかったです。
あと、カーテンの柄が、私の部屋にあるのとおんなじでした…(,,゚Д゚)丈はもっと短いけど。

ナンバーワン片桐の座を独走し続ける片桐はいりさん。仁さんのお姉さんのあだ名ははいり。はいりさんの伯父さんの名前が片桐仁とか、家系のルーツとか、下北沢の片桐ハイツとか、しばらく片桐に関する話題で盛り上がる三人。


向井さんが大学で専攻していたのは、なんと遺伝子工学。意外!
仁さん、「ありま~す!」とか言わないで(笑)!


はいりさんは、落ち着きのない子供だったんですね。学校から裸足で逃げ出して、足にガラスが刺さって救急車で運ばれたって…。でも、学芸会のスターだった子ではなく、目立つ役を与えてもらえなかった子が、今や女優として大活躍しているんだから、人生何があるか分からないもんだなあ。


はいりさんの弟さんはグァテマラ在住で、グァテマラ人と結婚。向井さんのお兄さんはロンドン在住で、オランダ人と結婚。「かっけ~・・」と羨ましそうにつぶやく仁さんが可愛かったです。


兄や姉と比べられるという話題で共感し合う弟達(仁さんと向井さん)。
一方、お姉ちゃんであるはいりさん。最初は弟さんをかわいがっていたのに、学校に入ると向こうの方ができたり親からの覚えがめでたかったりして、なんか癇に障るようになってきた。それでいなくなれいなくなれと願っていたら、弟さんはグァテマラに行ってしまった。そのコンプレックスで姉御キャラになって、後輩をかわいがるようになったそうな。特に近藤公園さんがお気に入り。


兄弟が居ると比べられるし、自分でも比べてしまうんだよね。私ははいりさんの方に共感したけど、上でも下でもそれぞれ悩みがあるんだよなあ。


はいりさんは子供の頃、弟さんから「兄貴が欲しかった」と言われてショックだったそうです。それで兄の役割もしなきゃと思い、本当はお人形遊びをしたいんだけどウルトラマンの人形で弟さんと遊んでいたんだとか。真面目だなあ。私も弟に付き合って仮面ライダーの人形とか、TVゲームとか、ブロックとか、男の子の遊びをやってましたよ。私の場合もともと人形遊びよりそっちの方が好きだったから、あんまり苦にはならなかったですけどね。こちらからは、弟に自分の持っている少女漫画を貸したりしてました。


向井さんが子どもの頃、家に帰ると大体お兄さんの友達が居たので、年上との交流が割と自然にできるようになったんだそうです。下の子の方が社交的で要領がいいことが多いですよね。「アナ雪」とかその典型だ。「年上の女優さんを転がすの上手いもんね」と言うはいりさん。仁さんは「実際バカにしてんでしょーね」と発言。ちょいちょい卑屈が出ますね。


仁さんは、結婚したらお互いの家独自のルールや常識が全く違ったと話します。全員B型で自由行動の片桐家に対し、奥さんの実家は団体行動。結局仁さんが従うことになったけれど、出かけるときに用事を済ませている奥さんを待っていると、自分の父親がそうだったようにイラッとしてしまうんだとか。


はいりさんに「そういうのは耐えられる?」、仁さんに「一人の方が楽…?」と聞かれ、向井さんは「それはもう、絶対にそうだと思います。僕も10年以上一人暮らししてますけど、それが普通ですもんね」と答えます。
その後の「莫大な楽は手に入ってんだけど、やっぱ莫大なさみしさも…同時にあるんで、どうしたらいいんだろうっていうことですよね。今はまあ、一人で何でもできて、動けてってできますけど、まあこう…だんだんそうできなくなっていったときに、どうするのかなあ、とは思いますよね」
というはいりさんの言葉が胸に沁みました。煩わしさを取るか、孤独を取るか。難しいなあ…。


仁さんの息子太朗くんは、仁さんと同じタイプ。
筆箱にカミキリムシを入れたり、尻尾を切った血まみれのヤモリを入れたりして、肝心の鉛筆や消しゴムを行方不明にしてしまう。とにかく集中力がないし、じっとしていられない。そんな太朗くんを仁さんは「お前、筆箱ん中カミキリしか入ってねーじゃねーか!」などと怒らなければならないのか。大変だあ…。


この後の3人の話がとても興味深かったです。

仁さん「個性ってねえ、勝手にあとでやりゃあいいだけで、やっぱある程度のことは、親としてはして欲しいと思うんだな、とは思いましたけどねー。まあ、こんな仕事してるしー、どうしたら幸せになれるかなんて分からないですけど…」


はいりさん「でも、正しいよね。なんか始めから個性的とか、なんか変なことしてやろうみたいな人って面白くないなあ」


向井さん「狙うとだめですよねー」


はいりさん「やっぱ一応なんか踏んでるラインはちゃんとしててー」


仁さん「そのラインが大事なんですよねー」


はいりさん「若い人とお芝居したりすると、なんか最初から変ちくりんみたいな人がいっぱい居たりして、いやそれはそれで別に面白くていいなーと思うんだけど」


仁さん「やっぱ用意してこられちゃうとね」


はいりさん「もともと個性的っていうか、もう…天然みたいな。それだけだとどうなのって、ちょっと思っちゃったりするときがあるな」


仁さん「日常生活それで送ってないでしょって思いますもんねー」


向井さん「僕はいりさんを見てて思うのは、こう、一生懸命やってる人間の滑稽さっていうのがコメディだなーと思う」

本当にその通りだと思います。始めっから奇を衒ってる人って面白くないですよね。のびしろもないし。小林賢太郎さんが対談で話したり、本にも書いていることとも共通しています。
それから、仁さんが親としてかなりちゃんとした考えを持っていることにびっくりしました。


自分を含めた3人のことをジャンルは違えど「見た目で得したことしかない人」と言うはいりさん。「そうですよ、はい。だってお仕事もらえるもんね」と仁さん。


「男の人の方がかっこいいの種類が多彩。女の人の綺麗のラインは相変わらず。それは男の人がいけないんじゃないかと思うな、あたしは。男の人の見方がつまんないから」
はいりさんの指摘は鋭い。男の人の見方が保守的なんだろうな。


向井さん、「同性受けはいいんじゃないですか」って言われても女の人は喜ばんぞ…。まあ、イケメンにはいりさんの気持ちは分からないよな。


孤独すらも消化してしまえて、結婚したらしたで自分の全てが出てしまう仕事、それが役者。
はいりさんのこれから先が楽しみです。外国人と結婚してくれたらいいなー(無責任)。


家族の話あり、恋愛の話あり、演劇論あり、楽しくて濃いトークでした。この番組は、2人じゃなくて3人で話をするから内容が広く深くなるのかもしれませんね。仁さんは自然に話を振ったり膨らませたりしていました。なので、芸術系の番組ならMCいけるかも。って、既にやってるか。

ビルのゲーツ

先月、ヨーロッパ企画の「ビルのゲーツ」を観てきたので、その感想を。


世界的IT企業の巨大ビルに、ベンチャー企業の5人の社員(加藤さん、石田さん、諏訪さん、土佐さん、金丸さん)は招かれます。招いたのは、そのIT企業のCEO。


受付で手続きを済ませ、覚悟を決めて大きなゲートをIDカードをかざして開ける加藤と、緊張しながらゲートの前に立つ残りの4人。しかし、開いたゲートの先にCEOの姿はなく、2階へ続く階段があるだけ。5人はCEOに会うために、クイズを解いてゲートを開けながら上を目指すことにします。


クイズ自体は問題をよく読んで考えれば解ける程度のものでしたよ、最初のうちは。私は途中でめんどくさくなって、解くのをやめてしまったんですよね。問題文が英語で書かれていたのは、観客が簡単に読めないようにするための工夫でしょうか。上の階に行けば行くほど問題は難しくなっていくし、頭脳だけでなく、運動能力やチームプレイも必要になってきます。


ゴールは何階なのか、何のために登らされるのか。巨大ビル側からの説明は、一切なし。一方的に与えられる理不尽な試練に耐える訪問者と巨大ビルの関係が、就活中の学生と企業、または下請け企業と大企業の関係を彷彿とさせます。


彼らが知恵を出し合ってビルを上っていく様子が、古いダンジョンゲームのようで、観ていてワクワクしました。下の階の道具を使ったり、Yes/Noガール(西村さん)にクイズ以外のことを質問して仲良くなって巨大ビルの情報を聞き出したり。こちらの決めつけ、思い込みをひっくり返すような発想が素晴らしかったです。これが集合知ですね。


やがて、他社の社員(作業用上着を着用:岡嶋さん、永野さん)(新進気鋭のIT企業:中川さん、酒井さん)(猛獣の出る階から逃げてきた:吉川さん、本田さん)が現れ、会社の生き残りを賭けての争いが始まります。しかし、やがて彼らはみんなで協力しながら上っていく方が合理的だと気付きます。


奪い合いから協力へ。これは、利益に限りのある今の世の中で生き残るための一つの方法だと思いました。また、私には一人でやるオフラインゲームから多数のユーザーが協力して戦うオンラインゲームへ、というゲームの変遷とも重なって見えました。


猛獣や蜂の居る危険な階を突破してからは、あらゆる所から離脱ボタンが次々と現れるようになります(スクリーンに映る数々の訪問者の写真で表現。ちょっとボラギノールのCMみたい)。ボタンを押したら、即1階へ直行!巨大ビルの何者かは、訪問者の家族や同僚そっくりのロボット(離脱ボタン搭載)を登場させてまで、訪問者を離脱させようとしてきます。きたない。そして、しつこい。ここで脱落者がわんさか出ます。


そんなこんなで、ただ一人最上階(R)まで辿り着いたベンチャー企業の新人金丸。
彼は屋上で夕焼けをしばらく見つめ、それから軽い足取りで来た道を戻っていきます。
あれだけ苦労して、多くの人間を犠牲にして、辿り着いた先には何にもないなんて…。登りきったから一応達成感はあるんですけどね。屋上の夕焼けのもの悲しさよ。。


結局、この巨大ビルの社員もCEOも存在しなかったんでしょうか。人が居なくてもシステムだけは生きていて、それが自動的に他社の社員を呼んだり、派遣社員に仕事をさせたりしていたということなのかなあ。コンピューターに仕事を取られた社会の末路ってこんな感じかしら。人間がコンピューターにすることを与えてもらうっていう…。


この作品のラストは、「登り終えたらまた次があるさ」と前向きに捉えたらいいのかなあ。少なくとも、閉塞的な空間の外を見ることができたのは収穫だったのかもしれません。


しかしまあ、一つのシチュエーションをよくぞここまで膨らませ、展開させられるものだなあ。笑ったりドキドキハラハラしたりしながら、最後までダレることなく観られました。一つの舞台に同時に最大11人立っていてもキャラが被らないし、ちゃんと全員に見せ場があるのも凄い。

私のお気に入りはYes/Noガールです。ピンクの衣装を着てはにかむ姿が可愛らしかったなあ(*´艸`)一番悲しいのは、片目を失明して最後のゲートを開けられなかったお爺さん(角田さん)だな(数字に従って番号の振ってあるリーダーにIDカードをかざすとゲートが開く。その数字を象形文字っぽい絵の中から浮かび上がらせるためには、両目が見えないと駄目)。彼はあのままあそこに居続けるのでしょうか。

孤独のグルメ

孤独のグルメ Season4」の最終回に賢太郎さんが出演しました。「TVBros.」の松重さんとの対談で言っていたことが現実になったのですね。賢太郎さんが演じたのは、喫茶店のマスター。かなりの曲者です。というか、まんまポツネン氏です。なにせ、彼が井之頭五郎に注文したのは、「オブジェじゃないオブジェ」ですから。そのため、賢太郎さんが出ている部分だけKKTVになっていました。なんだろう、例えるなら台湾映画と東欧映画をそのままくっつけたような違和感がありました。


監督が気を遣って賢太郎さんに合わせてくれたのでしょうか。別に合わせなくてもいいのになあ。役場の柱時計を注文する冴えない地方公務員とか、そんなんでいいのになあ。折角他人の作品に出るのだから、普段はやらない役に挑戦する賢太郎さんが観たかったです。


まあ、あのマスターが視聴者に強い印象を残したのは確かだろうから、小林賢太郎という存在を知ってもらうという意味では、成功だったのかな。


賢太郎さん演じる「カフェ・ヒポタマス」のマスターは、本当にめんどくさい人でした。ニコニコしながら五郎さんを出口の見えない会話に誘い込みます。孤独のグルメを観ているはずなのに、KKTV6のなぞなぞ庭師の世界に迷い込んだ気分になりましたよ。


手品は流石の上手さ。水を得た魚でした。五郎さんに手品の煙草を取られてむくれているのが可愛かったなあ。五郎さん、ナイス!五郎さんがもうちょっとツッコんでくれたら場が締まるんでしょうけど、相手がお客さんじゃ無理か。これコントじゃなくてドラマだもんなあ。。


この喫茶店の看板には「since1979」と書いてありました。ということは、マスターは二代目?もし1979年からずっと続けているとしたら、あんた幾つだよ…。


そういえば、森茉莉ゆかりの喫茶店、邪宗門のマスターも手品をするそうですよ。上京した際に行ってみたかったんですけど、生憎定休日でした。余談。


オブジェじゃないオブジェは無事納品されたんでしょうかね。サンタを待つ子供のような顔で待っているマスターのために、是非とも希望通りの品を届けて欲しいなあ。まあ、五郎さんのことですから、地の果てまでもお客さんの求める品を探しに行くでしょう。ひょっとしたら、まやかしの画廊に足を運ぶこともあるかもしれませんよ。


賢太郎さんの次回作はポツネンですか。タイトルを読んだ限りでは、何やらガヤガヤした印象です。今度の海外公演はパリとロンドン。賢太郎さんとイギリスって相性が良さそう。特にヴィクトリア朝のイギリスとの相性は抜群だと思います。


私は行けませんが、行く人は楽しんできてくださいね。賢太郎さんが脚本を提供する親族代表の公演には行けそうなので、それを楽しみにすることにします。


最近、「シャキーン!」で流れる「ハイテンションサラリーマン」がお気に入りです。私が幼少期に聴いていた子供向けのテクノ歌謡っぽいのがツボです。「テクテクマミー」とか「コンピューターおばあちゃん」とか。仁さんの上手いんだか下手なんだか分からない歌とシャウトもいい感じ。\( ・ω・`\)ワッセイワッセイ(´/・ω・)/



HAPPY-SYNTHESIZER Feat.たった "テクテクマミー" PV - YouTube

「本題」と「僕がコントや演劇のために考えていること」

先日「本題」と「僕がコントや演劇のために考えていること」を読みました。

「本題」は、小説家の西尾維新先生の対談本です。

西尾維新対談集 本題

西尾維新対談集 本題

私は西尾先生の本を一冊も読んだことがないのですが、それでも楽しめました。
随分と多作な方なんですね。びっくりしました。1日2万字ってなんじゃそりゃ。正気の沙汰じゃないわ。

西尾先生は作品の中で言葉遊びをしたり、次々と新しいことに挑戦したりするところが、賢太郎さんと似てるんですかね。それで、賢太郎さんも西尾先生のことを「仲間」だと認識したのでしょう。結構手の内を見せてくれてました。多分、「この人は話の通じる人だな」と思わなければ、形式的、表面的な事しか言わなかったんじゃないかと思います。


賢太郎さんがラーメンズ時代の話を喋ってくれたのが嬉しかったです。「読書対決」を作ったいきさつは、読んでいて流石だなあと思いました。法の目を掻い潜る手法で作られたラーメンズらしいコントだったんですね。


賢太郎さんが「仕組み」「オチ」「中身」の順で創るというのは、今後賢太郎さんの作品を観賞する際に活かせそうですけど、知らないなら知らないで観るのも悪くはないでしょう。知ってしまうと、知らない視点では見られなくなるというデメリットがありますし。


自分で創ったキャラクターが勝手に動き回る瞬間のことをお二人で語り合っていましたけど、とても不思議な体験ですね。自分で作ったキャラクターなのに、独立した意志を持ち、知り合いとして存在するようになる。人が愛着を感じるのってこういうキャラクターですよね。


賢太郎さんは「主人公が成長することであるべき状態になるというものではないストーリーを作りたい」と思っているそうです。言われてみればKKPにはそういうところがあるし、最近の作品(振り子とチーズケーキ、ノケモノノケモノ)は特にその傾向が強いですね。まあ、人間なんてそうそう成長しないですよね。別人のように変わったように見えても、本質的な部分は変わらないんでしょう、きっと。でも、経験は蓄積されていくはずなんですよね。そこがKKPの登場人物たちの以前とは違うところではないかと私は思います。

賢太郎さんは、枷をはめて成長を促す自分のことを宿題型パフォーマーと呼んでましたけど、ぴったりのネーミングだと思いました。

賢太郎さんの「作る」ということのほうが「出す」よりウエイトがぜんぜんでかいんだ、という発言。あれは嘘なんじゃないかと思いました。仁さんが昔賢太郎さんに「お前出たがりだろ!」と言ったことがあるそうですし。それに、対談中にあれだけどう褒められるかへのこだわりを語り、実際に身を削るような努力をしている人が、「出す」というお客さんから直接反応の返ってくることを軽んじられるわけがないですよ。「パン屋」の喩えで何を言いたいかは分かりますけど。作品は面白くても、自分は面白い人間ではない。だから、表に出ている時以外はそっとしておいて欲しいってことでしょう。


結局、私がこの本の中で一番面白かったのは羽海野チカ先生との対談でした。賢太郎さんと西尾先生は師匠と弟子。荒川弘先生とは大人と子供。辻村深月先生とは妹と兄。堀江敏幸先生とも師匠と弟子。五人の対談者の中では羽海野先生との関係が一番対等だったからか、話の広がり方も一番よかったです。非常に熱くて密度の濃い対談でした。


絵を描くことだけを頼りに居場所を見つけて、後戻りできないところまで来てしまい、これからも厳しい世界で戦っていく羽海野先生。その生き方が「ハチクロ」のはぐちゃんや「3月のライオン」の零くんと重なって見えました。辻村先生は、自分の好きなことで居場所を見つけることを「孤島にたどり着く」と表現してました。違うタイプの作家に思わぬ共通点があるものだなあと読んでいて興奮しました。アシスタントさんとの人間関係も、なかなか漫画だけでは知ることができないことなので貴重でした。あと、ひなちゃんの「いじめ問題」を描いた理由を詳しく知ることができたのもよかったなあ。私もあれは長くても絶対に入れるべきエピソードだったと思います。


荒川先生との対談は、お二人のタイプが違い過ぎて時折噛み合ってなかったかな。荒川先生は、私が想像していた通り物凄く地に足のついた人でした。隙のないストーリーの組み立て方、登場人物の肉付け、漫画家としてのあり方、作品を生み出す明確な動機。完璧です。「鋼の錬金術師」の最後の原稿を描き終えた時のエピソードは、修羅場の後の淡々とした充実感をお裾分けしてもらっているような気分で読みました。焼肉を食べに行こう、それから寝るぞっていうのが、凄くいいですね。かっこいい。


それぞれの作品に掛ける情熱が迸るような対談集でした。内容が濃いので、高カロリーな食べ物をインターバルを挟みながら食べるように読み進めていかないと、とても消化できませんでしたよ。



「僕がコントや演劇のために考えていること」は、タイトルそのまんまの内容。messsageと過去のインタビューや対談を合わせたような感じ。


賢太郎さんが何故この本を書こうと思ったのか。誰に向けて書いたのか。私にはいまいちよく分かりませんでした。お客さんから質問されたことに一気にどーんと答えるようなつもりで書いたんでしょうかね。


本って少しは双方向の要素があるメディアだと思うんですけど、この本は張り紙のように一方通行。読んでいて、自分が硝子窓にぶつかってはうろちょろする頭の悪い虫になったような気分になりました。読み進めていくと、たまに筆が滑ってそうじゃなくなっているような箇所があって、そこは面白く読みましたけどね。下積み時代の話とか、子供の頃の話とか、スタッフとの間で苦労した話とか、朝のゴールデンタイムの話とか。創作の楽しさについて書いてあるところは文章に瑞々しさがありました。


書いてあることは、ものを創る前の前の段階と創り始めてからの段階がほとんどでした。私が知りたいのはその間だったので、若干物足りなさを感じました。物語の力って、枷をはめるだけじゃ生まれないと思います。


なんというか、賢太郎さんが理想と自分を比べ過ぎている感じがして、読んでいて息苦しかったです。間違ったことは書いてないですけど、言葉が頭でっかちで、体が伴っていない感じがしました。


きっと、賢太郎さんの理想はフィルターを幾重にも通したように清浄なんでしょう。賢太郎さんにとって不要なものを除去することで成り立っている。私は賢太郎さんの作品の中に時折見られる、猥雑で混濁したものが好きなんですけどね。もちろん、賢太郎さんの生真面目さや潔癖さから生まれる透明な美しさも好きですよ。しかし、宝が眠っているのは多様性を受け入れる方向ではないでしょうか。


一番最後の二行。私にはこれだけで十分でした。
創らなければならないという祝福と呪いに取り憑かれ、これからも賢太郎さんは小林賢太郎でいるのでしょう。


「本題」で賢太郎さんが観に行ったと言っていた「風立ちぬ」。あれは戦闘機を作りたい。金が掛かろうが、人が何人死のうが関係ない。気が向いた時だけ妻の美しさを愛でたい。こんな俺だけど、妻は許してくれるよな。美しいものが好きなんだからしょうがないじゃないか。俺はそういう人間なんだよ!!文句あるかあああああ!!!!という恐ろしく身勝手な主人公(=宮崎監督)の主張を圧倒的な映像美とパワーで表現した作品なんですけど、あれだけ美に生きる人間の清さも汚さもゴンヌズバー!(大槻ケンヂ語)とさらけ出されたら、こちらも「参りました」とひれ伏すしかないですよ。凄い作品であることは間違いない。好きじゃないけど。


ああいう表現に賢太郎さんが憧れるというのは、分かるような気がしないでもない。しかし、あれは自分の中の地獄の釜の蓋を開けてガン見しないとできない表現だと思います。ああいうことをすれば、本人が大火傷を負うのは確実だし、家族や取り巻きや観客を傷付ける可能性もあります。今の時点では賢太郎さんはそこまで鬼になれないでしょう。


作品が発表されるたびにテーマが少しずつ展開しながら変わってきているのは分かります。西尾先生との対談時や「僕がコントや演劇のために考えていること」を執筆時の賢太郎さんと今の賢太郎さんは違うと思います。焦らずにとにかく創り続けて欲しいです。


昨日賢太郎さんの個展が始まりましたね。おそらくこの二冊の本を読むよりも、個展に行って自分の目で直に作品に触れたほうが感じ取れるものは多いと思いますよ。

大島弓子にあこがれて

前回も紹介した「大島弓子にあこがれて」。


お菓子研究家の福田里香さん、漫画研究家の藤本由香里さん、漫画家のやまだないと先生。このお三方が「私が見つけた大島弓子」を語る本です。


他には、大島弓子先生のカラーイラスト、雑誌コラムやエッセイ、予告カット、レターパッドなどの付録、漫画に出てくるお菓子のレシピ、やまだないと先生の書き下ろし漫画などが収録されています。


私が大島先生の漫画と出会ったのは20世紀の終わり。ギリギリ少女と呼べる頃に図書館で読みました。なので、70年代、80年代からのファンが羨ましくてたまらないんですよ。ああ、私も自分より少しお姉さんの漫画家の生活に憧れ、漫画に書かれたローマ字の私信にドキドキし、可愛い雑誌付録をコレクションする、そんな少女時代を送りたかった…。

きゅうりをうえてきゅうりもみ
トマトをうえてトマトジャム
かぼちゃ煮つけと
パンプキンパイ
とうもろこしにおなすにいちご

切れぎれの独白(モノローグ)、疾駆する夏の翳り、溶ける子守唄よ

不眠の春、所業無常のコンデンス・ミルク


大島弓子先生の言葉の使い方は詩的で素晴らしいのですが、雑誌の一言コメントでもその才能を発揮しています。リズムが良くて、字面も綺麗で、色や匂いや情景が鮮明にイメージできますね。


さて、これからお三方が語る大島弓子論の中で私が印象に残ったものを紹介していきたいと思います。まずは、藤本由香里さんから。

大島さんの作品というのは、あらゆる少女漫画の中で最も純粋な形で「母的なるもの」を追求してきたのではないかと思っています。


この考え方は目から鱗でした。背伸びした少女だけでなく、男性も母的存在になろうとするのが大島先生のユニークさでしょうか。

強く思い続けていれば、世界は変容する。こだわりを突き詰めたところを抜けたら、そこはこんなにも自由なんだ。


そういうことを描いてくれるから私は大島先生が好きなんだろうなあ。しかも、おためごかしじゃなくて読者にちゃんと実感させてくれるんですよね。この世界がパーッと開ける感覚は他の漫画家の作品では味わえないのです。


続いて、福田里香さん。

「かわいい」と「怖い」は似てるでしょ。怖いものを隠そうと思ったら、かわいものの皮で隠すでしょ?体に悪いものとかも、かわいくしちゃうと人はつい食べてしまうということと似ていると思います。


大島先生の漫画って、可愛いしおしゃれなんだけど、時々不意打ちを食らうんですよ。可愛いものの中に死や性や老いや狂気が隠れてるんです。だから読んでると、あの背景が真っ黒のコマの中に自分が放り込まれたような気分になることがあります。


福田里香さんのビスケットと苺の実験も面白かったです。一緒に食べても漫画のようにラッカーの味はしないんですって。大島先生は森茉莉ファンだそうですが、森茉莉の作る料理にも、読んでイメージした味と実際の味が違うものがありますよ。まあ何にせよ、読者を憧れさせることができたら勝ちだと思います。


やまだないと先生が漫画家の目線で語っていたことも興味深かったです。まるごと引用すると長いので、勝手ながら要約して書きます。

マンガを描く人っていうのは、言えないことがいっぱいあって、描くしかないから描いていると思うんですね。他人には伝えられないことを自分のために描いている。でも、作品にだって全部は出せない。知られたくないから描けないのではなく、描く術がないんです。共通の言葉に置き換えて多くの人が納得できる形にすればするほど、それは本質とずれていく。でも、どんなに描けなくても、私もマンガ描くのがやめらんないでしょう?知られ方に対しての理想が、きっと高いんでしょう。

マンガに出てくる人間関係が、大島先生の全人間関係ってわけじゃないじゃないですか。ダメな自分でも乗り切って大丈夫な自分が大丈夫な自分を書いているのであって、本当に許せない自分は描けないですよ。


私は時々思うんですよね。自分が思っていることを包み隠さずに全部言っちゃう人は、きっとクリエイターにはならないんじゃないかって。だって、全部言ったら気が済んでしまいますから。何かを創りたいという動機なんて生まれるはずがありませんよ。

何かを創る人は、言えずに溜め込んだものを自分の内側で発酵させた後に、作品として昇華してるんだと思います。けど、溜め込んだものを全部出してるわけじゃないんでしょうね。本当に言いたいことは、ある程度時間が経って大丈夫にならないと表には出せないものです。

自己像であろうとも、人に見せるからには多少は切ったり盛ったりしているんでしょうし、作品の中に理想の自分を描くこともあるから、現実の自分と全く同じにはならないはずです。そもそも、思う存分嘘をつけるのが創作なのです。


読者の受け取り方も様々ですね。てんでばらばらの「わたしだけの大島弓子」が読者の数だけ存在しています。大島先生が全部書いてなければ当たり前のことです。どれが正しくてどれが間違っているというわけじゃない。大島先生の想定していない読み方の方が、大島弓子らしいってこともあるかもしれません。私はこの本を読んでいる間、先輩の大島弓子ファンと対話しているようで楽しかったです。