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KKP#8「うるう」感想①一つ余るのヨイチ 四年に一度のヨイチ

「うるう」の詳しい感想です。未見の方はご注意下さい。






この作品は大人のための児童文学と謳われています。


怖い言い伝え→禁忌を破る少年→異類との交流→正体が明かされ、辛い別れ

→再会してめでたしめでたし




セオリー通りです。セオリーだけじゃないですが。

児童文学という骨組みの中に大人になってみないと分からないことを色々詰め込んだのがこの作品です。

だから観に行ってから何日も経っているのに頭の中で色んなことがグルグルしているんだよ。
どうしてくれる、小林賢太郎(笑)!

「The SPOT」のうるう人と似た設定、エピソードが出てきますが、主人公がうるう人と同一人物だとは私には感じられませんでした。同じテーマを持つ別の話に見えました。

初めに穴を掘る人のシルエットが登場しましたが、何のための穴を掘っていたのでしょうか。ウサギを獲るための穴?自分以外に余り一を作るための穴?穴を掘っていたのではなく、畑を耕していたのか?

…好きなようにご想像くださいということかしら。

この物語の主人公ヨイチはとにかく一つ足りない、一つ余る存在です。運動会の二人三脚や組体操、騎馬戦で余り(破壊の神とサボテンと地雷がツボでした)、自分の番がきたところでカレーがなくなり、他の人はもらっているのに自分だけおもちをもらえず…。こういう経験、ヨイチほどじゃないですが私にも結構あります。特に配布されているものが私の番でなくなる系のが。

人と違う余り者ヨイチはみんなに馬鹿にされ、いじめられます。囃し立てられても上手く言い返せず、ぐだぐだになっちゃうところが可愛いです。

彼は父親の実験のせいで四年に一度しか年をとらない体質になってしまい、それを隠すため転校を繰り返していました。就職しても一つの職場に長くは居られません。当然、深い人間関係を築くことはできなかったでしょう。

そんな彼ですが、自分の辛い気持ちを聞いて慰め、励ましてくれる人が居た時はまだ本当に孤独ではありませんでした。クレソン先生とかコヨミさんとか、おそらく両親もそうだったんでしょうが、自分の味方でいてくれる人の存在が、ヨイチにとって大きな心の支えになっていたと思います。

クレソン先生とのやりとりのシーン、大好きです。クレソン先生変わり者っぽいですけど、ヨイチのことを可愛がっているのが観ていて伝わってくるし、ドクダミを過信しているところが最高!!大爆笑しました。

コヨミさんはなんだかポヤーンとした感じの優しそうな女性でしたね。彼女はヨイチの気持ちに気付いていたんでしょうか。気付いていたけど気付かないふりをしていたという可能性もありますね…。

ヨイチはコヨミさんが至って普通の男と結婚してしまったことでショックを受け、それからというものの自分のことを余分な存在であり、自分の居場所などこの世の何処にもないと思い込むようになります。

想いを寄せていたコヨミさんが他の人と結婚し、両親やクレソン先生もこの世に居なくなってしまった後のヨイチの心は、吹雪の中裸で外に居るようなものだったのでしょう。ヨイチの外側を取り囲む社会は、彼の都合に合わせて作られてはいません。彼はそこで生きていく限り、一人だけ取り残され、余りの一にされ、後ろめたさを感じていくことになる。彼は一人でそんな状況に立ち向かっていけるほど強くはなかったのです。

だから、彼は森で生活し、外側の社会との関わりを断つことを選びました。

でも、ヨイチの社会や人への関心は完全に消えたわけではありませんでした。ラジオでオリンピックの中継を聴いていたのは、彼の繋がりを求めようとする気持ちの表れだと思います。

大木のグランダールボとは会話しているようでしたが、あれはうるう人が土で作った家族や友達のようなもののように私には感じられました。
グランダールボの声は、ヨイチの心の声だったのかもしれませんね。
マジルには声が聞こえていないようでしたし。
そう考えるととてつもなく寂しい話です。
                                                                                                        ≪つづく≫