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燕のいる駅

一昨日拍手ボタンを押してくださった方、有難うございました。

同日の午後二時に、「燕のいる駅」を観るため、北九州市に行って来ました。

舞台はローカル線の通る島。ほとんどの人が島を列車で後にし、残された人々はいつ来るかも分からぬ列車をひたすら待っています。

以下ネタバレしてます。

駅の到着アナウンスから物語はスタートし、初めは駅員のローレンコ次郎と女性職員の有本の二人での会話、そこに主人公の駅員高島が加わり、三人によるやり取りが続きます。何とも平和な一時。高島が何気なく食べていたカレーパンが実は最後の一個と分かった途端、走り高跳びでも始めるかのように再びカレーパンに近づいていったのが可笑しかったです(これも今考えると世界の終わりに向き合う姿勢の暗喩なのかもしれない)。

その後、弟を探しに来た下河部。葬儀屋の頼りない部長水口とその部下真田が登場し、じわじわとこの世界の異様さが顔を覗かせ始めます。

空にはたぬきの形をした雲。この雲が現れてから何かがおかしくなり始めたと言われています。しかし、これが一体何なのかは結局分かりません。

本能が狂った燕の親は、ヒナを巣から突き落とす。
島の外との連絡がつかない。
挙動不審な若者祭大介は、一人で外に出ていき、道の真ん中で息絶える(あのへんてこな動きと「仲間」と書かれたTシャツは一度見たら忘れられない。彼はどういう思いで死を迎えたのだろう。)
いずれも原因は不明。

この作品を観ながら強く感じたのは、分からないということは、人を不安にさせる、ということです。観ている間中創造力を刺激されっぱなしでした。

この先どうなるのか。
この何かが終わるような嫌な感じの原因は何なのか。
戦争か、テロか、新種のウィルスか、天災か。
それは何処から来ているのか。
いつ終わるのか。
分かっていれば、少しは安心できるしあがきようもある。
分からないからこそ焦りと恐怖が蓄積されていくばかりなのです。

突然近づく世界の終わる気配。
よく残された者同士で争いにならなかったなあ、と思いました。
祭大介と真田を除く登場人物は、みんなどこかのほほんとしています(祭も真田も決して嫌な人ではない)。
情報を聞き出す目的のためとはいえ、視線恐怖症の祭大介を気遣ってあげられる余裕があります(しりとりのシーンと、祭と高島が一対一で話をするシーンが面白かった)。この作品の登場人物はみんな繊細で優しい。

登場人物達は、世界が終わろうとしている現実に気付き、それを受け入れ、行動します。
部長は長年の想いを部下である真田に伝え、二人は両手を繋ぎ、島を出るため線路の脇の細い道を進み始めます。危険な道だし、島を出ても助かるという保証など何処にもないけれど、彼等は運命に抗うことを決意したのです。
下河部は弟を探し続け、有本は高島のためにカレーパンを調達しに行きます。

最後まで危機感を感じていなかったのが高島です。彼は意図的に鈍感になろうとしていたのかもしれません。
相手を傷付けないように、そして自分が傷付かないように。だから彼だけが気づけなかったのかもしれない。

高島は外国人であるためにバッジを付けることを強制され、差別されてきた次郎の気持ちを今まで聞いたことがありませんでした。そのバッジカッコイイよな、とかいう慰めになるかも微妙なことしか言わなかった。次郎の心の傷に触れてしまうのが嫌だったのでしょうか。

有本に初めて一緒に食事をした日のことを聞かれた時の高島の態度から推測すると、彼はその日のことを何でもないことだと自分に言い聞かせていたのではないかと思われます。想いを伝えて今の関係が崩れてしまうくらいなら、このままでいいと思っていたのでしょう。そして、二人の関係は何も変わらぬまま月日だけが経っていきました。

相手の心に踏み込まないまま、ただ何となく一緒にいて、当たり障りのない会話をして、笑っていられれば楽なのかもしれない。でも、もう明日が来るか分からないし、好きな人にもう会えなくなるかもしれないのです。

次郎の言葉で目を覚ました高島は、外へ出ていった有本を追いかけます。


結局何一つきっちり終わらぬまま幕は閉じてしまいました。
終わってないからこそ、幕が閉じた後、すんなりと現実の世界に戻れず、彼らの今後や世界の終わりについて色々と考えてしまいました。多分これが土田さんの狙いなのかなあ。1997年が初演だそうですが、内容がとっても「今」だなあと思いました。

世界の終りの日に自分なら何をするか。あれもやりたい、これもやっとかなきゃと色々考えているうちに、結局大したことをやれずに終わるという間抜けなことになりそうな気がします。
とりあえず、お茶が飲みたいですね。そして好きな人の顔を見ながら終わりを迎えたいです。