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思い出す事など

あれは高三の三学期、入試のために欠席する生徒がたくさん居て、授業がほぼ自習だった頃の話です。選択国語の授業の時間、みんなで静かに図書室で読書でもしましょうか、ということになりました。

私が選んだ本は、三島由紀夫の「仮面の告白」。見回りをしていた若い現国の先生が近づいてきた時に私が読んでいたのは、よりによって主人公が聖セバスチャンの絵で性に目覚めるシーンでした(他にもやばいシーンはあるけど)(;゚Д゚)先生が私と本とを見比べ、ニヤリと笑いながら立ち去って行ったことが今でも忘れられません。その後は恥ずかしくて読んでも読んでも内容がちっとも頭に入りませんでした。

おぼこいなあ…。今はそういうの全然平気になっちゃったなあ。まあ、誰かさんのように電車でエネ○グラ教典を読むという域には達していないが。(達したいとも思わないが)。

何故先生も同学年の生徒も居る中で「仮面の告白」を読もうと思ったのか。当時の自分の気持ちが自分でも分かりません。吉本ばななとかにしとけばよかったのに。

この小説には女子高生の喜びそうなことは書かれてないと思うんだけどな。腋毛、筋肉、サディズム、マゾヒズム、ナルシシズム、割腹、流血、汚穢屋…こういうのは女子高生受けするエロではないでしょう。おまけに同性間の恋愛と男女間の恋愛のどちらも成就しないときている。異端者であることにより生じる劣等感と選民意識には何となく共感できていたと思いますが、とにかく当時はあの過激な描写にただただ「うへえ…(|||▽||| )」と引いてばかりいました。

一見三島由紀夫が自分自身の恥ずべき部分を苦痛と共に日の下に余すことなく引きずり出した自叙伝…に見えるのですが、所詮この小説に書かれているのは彼の仮面でしかありません。あくまでフィクションです。題名が「仮面の告白」だし、冒頭の文章にもそういうことが書かれています。つまり、自分がサディストの同性愛者だと思われないための予防線をレトリックを駆使して張っているわけですね。しかし、そういうふうにして書かれたこの小説が面白くないかというと全然そんなことはなくて、ちゃんと作品として、物語として面白いです。スキャンダラスでドラマティックな展開にぐいぐい引き込まれてしまいます。論理にも構成にも一切の破綻なし。精緻で豊かな描写力。完璧です。こんなのを二十代前半で書いちゃうんだからやっぱり彼は天才だと思います。ああ、日本語って素晴らしい。日本人に生まれてよかった。

しかし何と言うか、この小説を読んでいると背中の痒みを手の甲をつねる痛みで紛らわせているようなもどかしさを感じてしまうのです(仮面の告白だけでなく、私が読んだことのあるユッキーの小説や戯曲全てに)。彼が豪奢で堅牢な言葉で守ろうとしていた傷つきやすくか弱い部分の存在が、何となく読者にも分かってしまう。私は主人公が妄想の中で筋肉質の男の肉体をかっ捌くところよりも、近江が主人公の頬に白手袋を押し当てるところにグッときてしまいます。エッフェル塔の如きプライドの高さゆえ隠そうとしている生身の部分、仮面を被ることに慣れ過ぎて無意識に見せることを拒んでしまう部分がチラリと見えた気がして、近づいてもっと見たくなってしまう。しかし、近付けばそこにあったものは何処かへ消えてしまう。これもユッキーの計算なのだろうか。

仮面の告白」の中には彼のその後の人生を予見するようなことが書かれています。ボディビル、楯の会、割腹自殺…。彼はこれを書く時にはもう、自分が今後どのように生きていくか全部ではないにしろある程度見えていたのではないかと想像すると恐ろしい。彼の人生もまた彼の作品だったのでしょうか。

いつだったか忘れましたが、NHKのアーカイブスかなんかで三島由紀夫のモノクロの映像を観た事があります。歌舞伎役者の大首絵のようにギラッと光る目、小柄な筋肉質の身体、やや篭った低い声でスラスラとよどみなく美しい言葉を話すのを見て、ちぐはぐな印象を受けたのを思い出しました。
話していた内容はアホなので忘れてしまったよ。その当時の日本を憂うようなことを言ってたっけ?思い出せん…(-ω-)

仮面の告白 (新潮文庫)

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