QLOOKアクセス解析

オデッサの階段

オデッサの階段柳家三三さんの回を観ました。

柳家三三さんは前座の頃からエリートで、今や観客数は年間二〇万人にも及び、人気実力ともに落語界を背負っていくと言われている落語家です。先輩からの覚えもめでたい。でも、ベタ褒めされた後に春風亭小朝さんからは「トータルとして変態」立川談春さんからは「やな奴なんでしょう」などと言われていました。まあ、これも結局は皮肉を込めた賞賛なんでしょう。どこか変態でやな奴じゃなければ務まらないと私は思います。そんな三三さんに「やな奴なんですか?」「変態ですか?」という質問をぶつけるこの番組…。わざとなの?天然なの?三三さん苦笑してましたね。

三三さんは容貌がちょっと加瀬亮さんに似ていると思いました。
それと、いい声してますね。低くてザラっとしていて、味のある声。喋り方が明瞭なのにしっとりしていて、ずっと聴いていたい気持ちになってしまいました。

小学生の頃、落語好きの祖母の影響で寄席に通うようになる三三少年。その後彼は憧れの落語家柳家小三治さんの門を叩くのですが、高校くらいは出ておきなさいと入門を断られてしまいます。三三さんのお父さんの話によれば、小三治さんは決まり文句で追い返したのではなく、誰もが持つ心の痛みを理解しないと人なんて笑わすことはできないよ、という意味で追い返したのだそうです。これいいエピソードですよね。人の痛みが分かるって人を笑わせる職業の人にとってかなり重要なことだと思います。笑いっていうのは大抵人の弱さとかギャップから生じるものだから、それを弁えていないお笑いは私は嫌いです。ただ、三三さんの言っていたように、小三治さんが三年も四年もこいつが来ると待っていたとは私も思いませんでした。高校を卒業しても気持ちが変わらなかったらまたおいで。ぐらいの気持ちだったんじゃないかな。

年中蕎麦食べて酒飲んでそうな顔をしているのに、甘いもの好きな三三さん。行きつけのパンケーキのお店で話しかけられると落語家としてのスイッチが入ってしまうシャイな一面も。

三三さんがクラシックに目覚めたきっかけは、ラーメンズの「鯨」で使われたバッハの無伴奏チェロ組曲第一番。実は三三さんはラーメンズの大ファンなのです。
片桐仁さんが三三さんの高座を観に行った感想。
三三さんが役に入って見えていたので、三三さんを見ているっていうより、一個の物語に集中できるんですよね。三三さんはラーメンズのコントは何度見ても面白いと絶賛するけど、落語こそそういうもの。 古典落語もやる人によって全く違って、若い下手な奴がやるとこうなるんだっていうのも面白いんですよね。 だから無敵感を感じる。

要約するとこんなことを言ってました。素直で的を射たいいコメントでした。無敵感という表現が仁さんらしい。少年ジャンプ的。
ちらっと流れた「ことわざ仙人」の映像が嬉しかったなあ。

「ある意味シンプルだからこそ怖いものなし。でもシンプルだからこそ逆に脆い。」と話す三三さん。 シンプルだからこそ演じる人によって同じ話でもまるで違ったものになる。同じ台詞、同じ話という枠があっても、そのアプローチの仕方によっていかようにでも広がる。そして、シンプルだからこそ誤魔化しがきかない。奥が深いなあ。

仁さんの高校時代の恩師の北村薫さんも出ていました。
画面にちっちゃく映る仁さんが可愛かったです。三三さんは北村さんの書いた「円紫さんと私シリーズ」の舞台版に出演。そこで円紫という落語家として落語をやります。別の人間として落語をするなんて不思議な感覚ですね。面白い。芝居と落語の違いについて聞かれた三三さんは、「役作りを誰か一人にやっちゃうと、次の登場人物に逆向いた時になれない。ですからね、どっか引いている部分。そこら辺は一人一役のお芝居ときっと違うんだろうな。」と言っていました。落語は複数の人間を瞬時に切り替えながら演じるものですから、頭のどこかに司令塔のような役割をする部分を残しておかないときっとめちゃくちゃになってしまうんでしょうね。

夏目漱石が落語好きなのは知っていました。彼の小説のリズムの良さやユーモアは落語からの影響があるのでしょうね。漱石は小説「三四郎」で、「小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活溌溌地に躍動する許りだ。そこが えらい。と三代目小さんのことを絶賛しています。 それが三三さんは長いこと腑に落ちなかったそうです。誰がやってもおんなじなら噺家が一人一人存在する意味なんてないんじゃないの?と思っていたとか。しかし今は、話っていうものがあって、演者もお客さんもその世界に一緒になって収まっているのが素敵だと思える、というふうに変わってきたと話していました。私もそれって素敵なことだと思いますよ。その人が演じるから面白いということにももちろん良さはありますけどね。物語と一体化し、完全な語り部となってそれを届け、演者のことをお客さんに忘れさせる落語を三三さんは目指しているのでしょうか。

お客さんに受けたい、喜んで欲しいという気持ちと自分の美学とのせめぎ合い。これは落語家だけでなく表現を生業とする人なら誰でも経験することだと思います。お客さんに受けそうなものを売ることの極端な例が秋元康なんかのやっていることかな。 でも、あまり美学にこだわりすぎると独りよがりになってしまう危険性もある。その辺の塩梅が難しいね。

柳家三三さんが最終的に自分の落語を捧げたいのは誰か。
それは柳家三三自身。落語が大好きだった少年時代の自分。
自分に認められることが彼の落語の完成を意味します。
誰かに決められた目標じゃなくて自分で決めた目標に向かって進むって、孤独で終わりが見えないことだなあ。

次回荒俣宏さんが出るんだ〜。
うわ〜、来週も見なきゃ。