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瓶詰小説

昭和11年の今日、夢野久作(本名:杉山泰道)は亡くなりました。
昭和10年、翌年の11年は、おそらく彼の生涯で一番忙しい時期であったと想像します。父杉山茂丸没後の事後処理と「ドグラ・マグラ」刊行の影響による小説の注文の殺到が重なったことが、彼の精神と肉体を疲れさせていました。長男龍丸さんの話によれば、血圧も高くなり、時々頭痛を訴えることもあったそうです。

11日の11時、葬儀や後始末関係の帳簿を持って東京の杉山家(継母幾茂の家)を訪れた当時のアサヒビール社長を久作は黒紋付に仙台平の袴という正装で迎えました。社長が「予定の如く終わりました」と帳簿を差し出すと、久作は「やっと終わりましたか。ご苦労様でした。いやあ、これで……アッハッハ。」と笑って両手を挙げ、そのままストーンと後ろに倒れ、息を引き取ったそうです。死因は父茂丸と同じ脳溢血でした。享年47歳。

何だか久作らしい最期だなあと思ってしまいます。「怪夢」「いなか、の、じけん」などのショートショート集にこっそり紛れ込んでいても不思議ではない感じがします。

久作の父杉山茂丸は、伊藤博文山縣有朋等の内懐に飛び込み、政治の裏で活躍した破天荒な人物。義太夫で鍛えた弁舌で相手を煙に巻く事から「法螺丸」の異名を持っていました。日露戦争日韓併合満鉄設立などの歴史の教科書に載っているようなことにも深く関わっていました。政治、事業、刀剣蒐集、女性に血道を上げ、そのために借金を繰り返し家庭を顧みなかったので、久作はほとんど祖父三郎平によって育てられたようなものでした。生母は彼の幼い頃に父と離縁。彼はその後杉山家に入った継母幾茂と折り合いが悪く、継母とその取り巻きによる廃嫡問題で長年苦しみ続けました。そんな久作のことを長男の龍丸さんはこのように書いています。

彼は孤独であったと思う。家族に愛を求めて、彼は妻がそんなにしなくてもと思う程つくした。異母妹らも、お兄さん、お兄さんと口々に親しみを込めて、彼を呼んだ。しかし、心の底に、本当の親愛は、得られなかった。それでか、彼は友達に尽くした。しかし、彼を本当に理解し、彼が尽くしたのに、報いた友人が何人あったであろうか?

久作は彼の書く小説のイメージとは裏腹に、繊細で大人しくて優しい人でした。父親によく尽くしていましたし、自分を疎んじていた継母のことを誰よりも優先していました。そして、とても愛妻家で子煩悩でした。おそらく、自分がされたかったことを周りの人達にすることで、孤独を癒そうとしていたのではないでしょうか。奥さんと子供達に面白い話を聞かせて笑わせたり、子供達と一緒にお風呂で遊んだり、子供の野球の試合を見ている時に大声を出し、子供から恥ずかしがられたり、産後結核に罹った奥さんのために引っ越したり、ドグラ・マグラの刊行後奥さんに指輪を買ったり。彼の日記や手紙、彼の家族や関係者の書いた文章に出てくる妻子とのエピソードを読んでいると和んでしまいます。

父親と継母、その取り巻きに蔑ろにされていた久作が小説の中で好んで書いていたのが、女装の少年、男装の麗人、乞食、山窩、狂人、亡命者、無国籍者、冤罪者、変態性欲者、虚言症の女、異様に背が高い人、異様に肥え太った人などです。そういう取るに足らないと思われがちなはみ出しものへの愛情が彼の小説からは感じられます。

また、引き裂かれた自己というモチーフが頻繁に小説に登場します。「ドグラ・マグラ」「縊死体」「一足お先に」「怪夢」など。小説にうつつを抜かす久作のことを決して認めない父親。山奥の農園で小説だけに打ち込みたいが、その前にはいつも父親が立ち塞がる。父から逃れたいけど逃れられない。父の庇護なしには生きられない。不自由な自分をもう一人の自分が嗤って見ているような悲しい不気味さがあります。

福岡香椎の農園を任され、新聞記者の仕事もしていて、金銭の援助もあるため、決して飢えることはない。自然に囲まれ、妻子と共に暮らす楽しい日々。しかし常に父親の管理下にある閉塞感。「瓶詰の地獄」の無人島で暮らす兄妹と彼の境遇はよく似ています。小説の世界だけが彼を自由にしてくれる安住の地であったように私には思えます。

最も愛し、最も畏れ憎んでいた父親の影響を彼は大いに受けています。正義感が強く、天下の動向に深い関心を持ち、功利主義物質主義に毒された世の中を批判し、自然と生命を重んじることを生活文化の基本と考えている人でした。そういう面が、関東大震災のルポや、女装した幼い少年チイが、虚飾と欲にまみれた大人達の化けの皮を剥がす「犬神博士」などによく表れていると思います。

私が一番好きな久作の小説が「氷の涯」です。日本軍司令部に罪を着せられた上村一等卒とコルシカ人とジプシーの混血児ニーナが、馬橇で凍った海に滑り出すラストシーンが素晴らしいのです。登場人物が運命に翻弄されたまま終わることの多い久作の小説の中では珍しい作品です。彼らが国籍から自由になり、氷の上を疾走する解放感がたまりません。それに読んでいて頭に浮かぶ映像が最高に美しいのです。「空を飛ぶパラソル」、「死後の恋」、「押絵の奇蹟」、「白菊」、「ルルとミミ」、「白髪小僧」など。久作の小説には、頭の中に浮かぶ映像が絵になるものが多いです。グロテスクで血腥いシーンも幻想的で美しい悪夢を見ているような感じなので、あんまり嫌な気持ちにはなりません。お話の中のことと割り切れてしまいます。「犬神博士」のチイとその両親の組み合わせも漫画っぽくて面白いです。そうそう、久作は絵も上手なんですよ。九州日報に入社したばかりの頃は時事漫画を描いていましたし、自分の小説「白髪小僧」の挿絵も彼が描きました。

ドグラ・マグラ」は入れ子構造で、しかも文体がコロコロ代わるわ、話が飛躍するわループするわで、読後分かったような分からないような複雑な気分にさせられる奇書です。一体この小説のどこまでが現実でどこまでが虚構なのでしょう。私などの頭ではとても追いつかない、気の遠くなるような広がりと深さを持った宇宙のような小説だと思います。自分とは何か、人間とは何か、人間の狂気とは何か、近代合理主義への批判、自分以外の人間に翻弄され、自分の身体でさえ自分の思い通りにならない悲しさ、連綿と続く生命の不思議と恐ろしさ。私がこの小説から読み取れたのはこういうことでした。

この小説に登場する正木教授は、「脳髄は物を考える処に非ず」という自分の学説を裏付けるために、実の息子かもしれない呉一郎を実験台にする恐ろしい男です。久作は横暴な父を正木教授のモデルにしたのではないでしょうか。最後に正木教授を溺死させたのは父へのひそかな復讐のつもりなのかもしれません。久作は九州日報の記者時代によく九州大学医学部に通っていて、精神病科の教授、助教授からは精神病とその両方に関する知識、法医学科の教授からは法医学の知識を得ていただけに、正木教授の説は医学的にも評価に耐えうるものであるらしいです。

ドグラ・マグラ」は久作にしか書けないでしょう。戦国武将龍造寺家の血を引く黒田藩御伽衆の家系。能、鼓、漢学の素養。父の影響を受けた世の中の見方。複雑な家庭環境。生母への思慕。幼い頃からの転居の多さ。九州日報の記者として加藤介春編集長にしごかれた日々。放浪生活。禅僧の経験。彼の苦しい人生と、彼に関わりのある人、事柄の全てがこの小説にモザイクのように嵌め込まれているという見方もできると思います。

龍丸さんはこの小説を三回読んで、「お父さま、判ったよ。初めのブーンから終わりのブーンまで自分という人間が何であるかということを書いたもんじゃろう。二重、三重、いろいろのものにとらわれている人間というもの、人間の意識、そのとらわれているものを除いての人間とは何か、が書いてあるとじゃろう」
と言ったそうです。すると久作は、「なんや、おまえも判ったか?」と、がっかりしたとか。流石久作の息子…ヽ〔゚Д゚〕丿

久作の小説「少女地獄」の漫画化されたものを見付けました。原作のイメージに忠実で、行間の部分も自然な形で埋められていて、原作を読んだことのある人もない人も楽しめると思います。
http://mavo.takekuma.jp/title.php?title=1

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (上) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)

ドグラ・マグラ (下) (角川文庫)