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レミング〜世界の涯まで連れてって

これが私にとって初めての寺山修司の舞台だったのですが、思っていたよりおどろおどろしい感じはしませんでした。松本雄吉さんと天野天街さんの力が大きいのかな。音楽のような、絵のような舞台。でも変でした。紛う方なき変な舞台。


寺山修司ならではの言葉の羅列が理解しようとするそばから次から次へと押し寄せて来ます。これは脳では処理しきれないと思い、視覚や聴覚、皮膚の感覚に頼ってみると、膨大なイメージが身体に染み込んでいくのが分かりました。演劇でこういう感覚を味わったのは初めてでした。
絵になる美しいシーンがたくさんあるので、見ているだけでうっとりしてしまいました。

観劇後に中日劇場を出た時、夜の栄の街並が変わって見えました。偶然にも私の前を中国語を喋る集団が歩いていたり、交差点にタクシーを待つ新郎新婦が立っていたりしたので、劇場の外とレミングの世界が繋がっているような感じがしました。

みんなが行ってしまったら
私は一人で
手紙を書こう

みんなが行ってしまったら
この世で最後の
煙草を喫おう

Come down Moses ろくでなし
Come down Moses ろくでなし

take me to the end
to the end of the world
take me to the end
to the end of the world

一番最後でいいからさ
世界の涯まで連れてって
take me


客席の最前列の左側にギタリストの男性が座り、このテーマ曲に合わせてギターを弾き始めます。すると緞帳がゆっくりと上がり、灰色のレゴを組み合わせたような凹凸だらけの舞台装置が現れます。

この舞台の基本となるリズムは七拍子。速めの七拍子で1・3・5・7の奇数が強拍になっています。
ン・ン・ン・ダダン・ン・ン・
ピーポーピー ピーポーピー
このリズムで都市の住民達は動き、言葉を発します。黒い帽子に黒いコート姿の住民達は、集団でタップを踏み、移動します。彼らが何処に住んでいて何処に行くのかは不明です。

見習いコックのタロ(八嶋さん)とジロ(仁さん)は、下宿屋に住んでいます。タロとジロが中華料理の名前や調理法を身振り手振りを交えラップのように喋る掛け合いが、すっごくカッコよかったです(≧∇≦*)これは相当練習したんだろうなあ。

ある日タロとジロの部屋の仕切り壁が消えて、隣の部屋に住む夫婦の姿が丸見えになってしまいます。壁が消える前は隣に居るのが病気で呻く夫とそれを看病する妻とは分からなかったので、二人のうめき声がいかがわしく聞こえ、タロとジロはそれに聞き耳を立てていました。会場もちょっと妙な空気になってたかな〜。壁がなければ空想する楽しみもありません。妻にあれこれ指図され、こき使われるタロとジロ。

困ったジロは、大家の所に行きます。大家は一人ではなく複数居て、地面に碁を打つことで、都市計画を進めています。ジロが壁の修理を依頼すると、大家はそんな下宿屋はないと言います。ジロが契約書を見せてもないの一点張り。タロとジロは実在しない下宿屋に住んでいるのでしょうか。仁さんのうろたえる演技が安定して上手かったです。

下宿屋に壁の修理人が部屋のサイズを測りにやって来ます。修理には何年もかかるということで、彼等は仮の壁として仕切りにサルトルの「壁」の本を置いていきます。こんな吹けば倒れるものが壁って…。

タロとジロは、下宿屋の畳の下に母親(松重さん)を住まわせ、畑を耕させています。この母親がまあ強烈です。男性の松重さんが演じることで、母親の揺るぎなさが際立っていたように思います。あの強面の顔が畳からヌッと出てきて喋るだけで観客の注目を集めていました。母親はタロに好きな女性が居ることが分かると「どうせブスに決まっているよ」とか「お前にはまだ早すぎますよ」とか言い、相手の女性に敵愾心を抱きます。そして、自分がいかに息子思いであるかのアピールをしまくります。この母子の関係がいやらしさを含みつつもユーモラスで抜群に良かったですね。なんだかんだで母親を嫌いになれない息子。絶対的な自信に満ち溢れていながらもどこか可愛らしさのある母。松重さんも八嶋さんも達者だなあ。

怒った母親は、たくさんの穴からもぐら叩きのように首を出しては引っ込めます。首はだんだん増えていきます。タロは母親を叩こうとしますが、するりとかわされ全く叩くことができません。このシーンを観ている間中、脳を擽られているような感じがして笑いが止まりませんでした。

住民達による出口君の噂は、石川浩司さんの曲やたまの「かなしいずぼん」の台詞によく似ているなあと思いました。脈絡のない醒めない悪夢。生き物のように変動していく街。距離と時間の歪み。
まあ、少年王者館とたまは関わりがありますもんね。

江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」の郷田三郎は、声と肉体が二つに分離し、二つの台の上に狛犬のように座っています。下宿人達の無防備な姿を屋根裏の穴から覗いていた郷田三郎は、自分達も覗かれていることに気付きます。彼らの上には無数の覗き穴。そこから漏れる光が星のように光っています。

影山影子(常磐さん)は映画女優。実はタロとジロの母親と同じくらいの年齢だというのに若く美しい。スリットの深く入ったドレスがよく似合っていました。彼女は本当は死んでいるのかもしれないとちょっと思いました。死んでいる女優もスクリーンに映し出されれば蘇りますからね。牢獄、精神病院、下宿屋…彼女は同じ映画の主人公を何度も何度も演じ続けます。他人の夢の中に入り込み、他人を巻き込んで。

常盤さんがカメラマンや音響照明監督を引き連れて堂々と歩いて行く時の歩きっぷりが見事で、まさに女優って感じでした。結婚式の夜、闇の中に鮮やかに浮かび上がる極彩色のタンゴ、これぞ夢、これぞ映画!彼女が映画の世界に固執し続けるのも納得の美しさでした。彼女が登場する度に、虚構と現実の境目が曖昧になっていきます。事実を蛇蝎のごとく嫌っている彼女にとっては、夜の夢こそ真実なのでしょうか。

影子は記憶を無くしています。彼女が何度も同じ役を演じるのは、精神病の治療のためです。彼女が入院する精神病院では患者の解放治療が行われています(これは夢野久作の「ドグラ・マグラ」の影響でしょうか)。そのため、医者や看護婦のふりをする患者がたくさん居ます。タロとジロの隣の夫婦もこの精神病院に居ます。患者であるはずの夫は医者で、看護婦とできています。実は妻の方が患者。…と思いきや本当は妻が看護婦でした。夫と看護婦は患者で、妻はお医者さんごっこをする二人のカルテを取っているというわけです。めちゃくちゃだ…(。-_-。)

囚人二人は脱出しようと壁にドアの絵を書くのですが、女看守に見つかって、身に覚えのない罪を着せられてしまいます。

影山影子とタロとジロが一緒のシーンで、仁さんが今までに見たことがないような演技をしていました。え?そんな演技できたっけ?そんな声出せたっけ?とびっくりしてしまいました。これは篤郎る(byエレ片)だわ、と思いました。

影山影子にすっかり惚れてしまったタロが、彼女になら何べん殺されてもいいとうっとりしていると、母親は我慢できずに二本の大根を持ってタロの前に仁王立ちになります。彼女が着ていたのは灰色のネグリジェ!大迫力です!
夢には夢を。母親は影子に夢に見られる前に夢を見ることにします。夢の入れ子構造。夢と夢のバトル。もう何がなんだか…。母親は畳の下の風景を息子に見せ、息子を独り占めしようとします。

すると、母親の夢かと思われた世界に母親が夢見ていないはずのアフリカ探検隊が登場します。母親は混乱し、隣の部屋の妻から教えてもらった言葉を口にします。バルス!(嘘です)…もとい、「とび出すネズミが、たった一匹!」

人々の群れの中にタロとジロ。都市のジオラマを持った少年。
白いスーツを着て鞄を持ったジロは世界の涯を目指し、タロはこの世界に残ることにしました。
叫びのようなテーマ曲。祝福のような光と紙吹雪に包まれた人々がとにかく綺麗で印象的でした。

リヤカーにたくさん積まれた黒いゴミ袋、あれは何だったんでしょうかね。あれがゆっくりと舞台を横切った時、何かが葬られたような気がしましたね。

タロとジロは目覚めたのかな。それともまだ夢見ているのか。もいちど夢を見始めるのか。
それは他人の夢?それとも自分の夢?
タロとジロが二人で一人であるように、人間は矛盾の塊です。
そんな人間の内面が表れたのが都市、そして世界の涯。だから正体不明で複雑怪奇なのでしょう。

目を開けて、好きなように夢を見ればいいと思うよ。