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ある異人の話

二次創作です。この異人の存在が人間関係に深みを与えていると思ったので書いてみました。 ネタバレはちらほらあります。「ノケモノノケモノ」の面白さを損なうものではないと思いますが。私の想像や私が作った設定や慣用句が混じってますので、気を付けてください。

ここは楽園なのだろうか。暑くもなく寒くもない。空はいつまでもぼんやりと明るい。 それとも…。

朝、山小屋の木材がバリバリと軋む音で目が覚める。俺は台所で出汁の入った鍋を火にかけ、具を刻んで放り込んでいく。その間に干物を焼き、たくあんを切る。しばらくすると、部屋中にいい匂いが立ち込め始め、炊飯器のご飯もちょうど炊き上がる。自分で料理を作ることにもすっかり慣れた。残ったご飯で昼飯用のおにぎりを握り、出来上がった食事を卓袱台へ運ぶ。しかるのちに始まる朝食の時間。俺は山盛りのご飯とげんげの干物とたくあんを代わる代わる口に運んで咀嚼し、たぬき汁で胃に流し込む。

それから身支度をして、狩りに出かける。 この世界で生きていくことを決めた時、狩人になろうと思った。何か体を動かす仕事がしたかったのだ。中学生の頃弓道部だったので経験はあったが、的を狙うのと動くものを狙うのとでは大違いだった。自分の足で野山を移動し、何本も矢を駄目にし、仕留め損なった動物に反撃され、あちこちに傷や豆を作りまくるうちに、次第に動物の動きが読めるようになり、弓矢を手足のように使えるようになった。鈍っていた俺の体はどんどん軽くなっていった。野山を駆け回ることで自分の中を風が通るのが気持ちいい。

この世界の矢は、射る者の気持ちで変化する。細長くなったり、爆発したり、網のようになったり、ハエ取り紙のようにネバネバになったり。弓を引いてから命中するまでのイメージを鮮明に描ければ、命中率は格段に上がる。仕留めようと思えば、山のように大きな怪獣も、米粒より小さな蚤も仕留められる。最近では獲った獣を買ってくれるお得意さんも増えた。全ては自分次第なのだ。

ただ、自分がどうやってここへ来たのかを思い出せない。 最後に庭の楓の木を見たのは覚えている。楓の青葉が空や家の廂を覆い、波のように揺れ動いていた。楓の内側から降り注ぎ、無遠慮に体にしみ入る蝉の声に抵抗する気がまるで起こらなかった。 なんだかひどく疲れていた。

気が付いたら、妙なバスに乗ってここに来ていた。誰も俺のことを知らない、誰も頼れる人がいない所に。親切な人なんて案外居ないもんだ。自分が何を欲しているかはっきり主張しないと、基本的に向こうからは何もやってくれない。そもそも空気を読むっていう概念がないのだ。ここの住民のそういうところが初めのうちは苦手だった。でも、慣れてしまえばいい人達だ。ちょっとがめつい面や喧嘩っ早い面はあるけれど、陽気で付き合いやすいし、俺が何者であろうと気にしない。この世界でようやく俺は解放された。

ある日、「お客さんの中にあなたと同じようにあっちの世界から来た人がいるのよ」とパン屋のおかみさんが教えてくれた。それがあいつだった。あいつを見ていると、なぜか冷えた鰻を噛むような気分になる。喋りにも行動にも、誰かの影響で足されたり削られたりした形跡が感じられないのだ。あれほどズレているのが丸出しの人間を俺は見たことがない。なんであれだけズレてるのに、ふわふわしていられるのか。

あいつの表情が変わるのを見たくて、色々と嫌がらせをしてみた。クリームパンでおびき寄せて物置に閉じ込めたり、箱いっぱいの船虫を送りつけたり、郵便受けを粘土で塞いだり。でも、あいつは泣かないし怒らない。こっちに白い顔を向け、眉一つ動かさずにじっと見るばかり。気持ち悪い。鈍いのか?それとも馬鹿なのか?俺はいらいらするような、恐ろしいような気持ちになった。

矢を射れば避ける。画用紙に描いた絵に「バカ」と書けば、ビリビリと破ってちぎり絵を作り始める(元の絵よりよくなってる)。 どんな嫌がらせをしても一向に手応えがなく、虚しさを感じ始めた頃のこと。大雨だったので猟を休んで居酒屋で飲んでいたら、奥の個室にひまわりのような頭の男とその部下らしき男が入っていった。そのひまわり男たちがあいつのことを話しているのを聞いてしまった。狩りを続けてきたおかげで、俺は相当な地獄耳になっていた。部下の男がひまわり男を創造主と呼ぶのも聞こえた。

彼等の話を聞いていたら、あいつの言動の全てが腑に落ちた。 つまり、あいつは最初っから自由なんだ。 そんな状態で、今までどんな気持ちで生きてきたんだろう。ますますあいつがモノノケに見えてくる。 あいつが生まれてきたことには意味がない。 それなら、俺が生まれてきたことには意味があるのか-?

狩りが一段落したら、俺は丘に登って港を見ながら休憩することにしている。港から出て行くのは、俺のいた世界に向かう船だ。大きな船が次々と出航して悠然と進んでいく様は、見ていてわくわくする。ここの住民たちは、川の中の岩のようなものだ。生まれては死に、死んでは生まれ変わる生き物たちの間で、ずっと動かずに留まり続けている。

さっき、あいつが連れてきたサラリーマンに会った。あっちの世界にはああいうのがうようよ居たな。 寒気がする。カッコつけてんじゃねえよ、除け者のくせに! なんだか無性に腹が立って、サラリーマンに向かって矢を放ったら、あいつは物凄く怒った。 俺に何されても平然としてたのに、その男のこととなると怒るんだな。あいつの目の色に今までになかったものを感じて俺は戸惑った。何にも考えてないわけじゃなかったんだ。

悪かったよ。完全に八つ当たりだ。

別にあんたらから何かされたわけじゃないのにな。

ここでの暮らしにすっかり馴染んだら、きっとあっちの世界にいた時のことを何もかも忘れてしまうんだろう。そしたら、俺は正式に留まる岩になるのだろうか。蕎麦屋にいつもの獣を届けに行った時に、シミズさんとハシモトさんに聞いてみたことがあるが、いくら聞いても「虎と豹のじゃんけん」と言うばかりだった。なんだよ、「虎と豹のじゃんけん」って……。

目を凝らすと、船に見覚えのある顔の人間が乗っているのが見えた。そういえば、妹から妊娠したって電話があったな。男だか女だか分からんが、あんな世界に行くなんてご苦労なこった…。

♪こんぴらふねふね ペリカン育ててしゅらしゅしゅしゅ

あっちの世界にいる時に聴いたことがあったが、こんな歌詞じゃなかったはずだ。 でも、航海の安全を祈る歌であるのは同じだろう。 無事に到着するよう、祈りを込めて歌う。 つなぎ目がどこなのか分からなくなるまで歌う。

俺は家族のことを思った。友達のことを思った。今まで付き合ってきた女のことを思った。 そして、流され続け、浜に打ち上げられた海藻のような自分の半生を思った。

-ええい、こめかみにロバだ。 どうにでもなれ!