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ノケモノノケモノ③ほんとうの幸(さいわい)

ノケモノノケモノ②の続きです。
ネタバレしてます。

 

 

 

■あの街

あの世とこの世の中間。境界。バスの終点であり、あらゆる生き物の起源。現実世界とは時間の進みが違う。

バス、お金、テレビ、スポーツ、蕎麦屋。どうやらあの街は現実の世界と似たような文明を持っているようです。ちょっと「P+」の街に似てますね。あの街の住民は、人間と似ているようで、微妙に獣っぽい。彼等は創造主を支えるために創造主によって作られたのでしょうか。それとも、誰かによって創造主が作られる時に一緒に作られた存在なのでしょうか。

もっと変な解釈も思いつきました。獣ヶ淵の動物がKRM自動車の工場設置を阻止するためハラミヤに見せた幻。要するに動物に化かされていたということです。動物(主に狐)に人間が異世界の幻を見せられる系の話は日本の民話によくあります。ああ、「ノケモノノケモノ」はジブリからの影響が濃厚な作品だけど、ジブリジブリでも宮崎駿監督から一気に高畑勲監督に…。イルマの苦悩も創造主の苦労もなかったことにしてしまう禁じ手の解釈です。

■獣ヶ淵


ハラミヤの故郷。ハラミヤも地主の老人も昔からの妙な言い伝えを口にしていたので、もともと異世界に通じる場所だったのではないかと思いました。民俗学的には、橋・川・峠・辻などが境界と考えられています。川の底が深くて流れが緩やかな部分を示す「淵」は、怪異が生じやすい場所であり、河童などの伝説がたくさん残っています。


■バス


現実世界と創造主の住む街を往復しています。イルマがバスに手をかざしたのは、バスの路線を変えるため。あの生命の進化の枝分かれをどのように進むかによって、いくつもの可能世界にたどり着けるのではないかと考えました。現実世界も、創造主の住む街も複数存在するということです。というわけで、ハラミヤを人間の原型にした創造主は、ハラミヤを作った創造主とは別人。

お客さんがどのように乗り降りするかについては、私は銀河鉄道をイメージしました。自発的に乗る客も居れば、自分の意志とは関係なく偶発的に乗ってしまう客も存在するということです。

■カモノハシとループ


ハラミヤが何度もすれ違う二足歩行のカモノハシ。小野不由美先生の小説「十二国記」の獣人のような生き物なのでしょうかね。カモノハシは体毛があり、アヒルのような嘴を持ち、爬虫類のように卵を産み、子供を母乳で育てます(そういえば、ニホンカタギリは人類よりカモノハシに近いんでしたっけね)。遺伝子も哺乳類と鳥類と爬虫類の寄せ集め的。まさにキングオブノケモノです。

そして、ノケモノでありながら、現在生き残っている哺乳類の中では、最も古くから存在する生き物である。このあたりがノケモノでありながら人間の原型となったハラミヤと同じですね。また、単孔類というグループに分類され、哺乳類進化の謎を解く鍵、ミッシングリンク(失われた環)と言われています。ちなみに、カモノハシの嘴は柔らかく、どちらかというと鳥類というより爬虫類に近いそうです。触ってみたい!

ハラミヤが図書館を飛び出した後、何回も二足歩行のカモノハシとすれ違うシーン。あれは、自分と向き合えずに問題が堂々巡りのハラミヤの状況と、あの街の不思議さを同時に表現しているのではないかと思いました。カモノハシをハラミヤの象徴とすると、どんなに逃げようとしても自分からは逃げられないという意味もあるのかもしれません。「The SPOT」の「怪獣のお医者さん」や「P+」にも似たようなシーンがありますね。

 

時折出てくるページをめくる映像。あれは何を意味するのでしょう。時間の流れなのか、それとも世界の切り替えなのか…。うーん、一度見ただけじゃ分からないなあ。

■ハラミヤ


人と違うことを望みながら、区別がつく範囲で人と同じであることを望む。そんなハラミヤを人間の原型としたということは、それが人間というものだと今回のKKPは伝えてるんでしょうね。

おしゃれで自分をアピールしている人が、傍から見ると他の人と同じ格好をしているというのはよくある話です。目立ちたいけど、みんなから浮くほど目立ちたくはないということです。そういう価値観を持っている人は、メジャーではない趣味を持っている人の中にも居ます。好きになるのが誰も知らないものでは駄目で、「分かる人には分かる」というのがポイントです。

一流企業に入って仕事を頑張ったお金を使い、いい物に囲まれた暮らしをする。それは、誰にでもできることじゃありません。立派なことです。しかし、それに情熱を感じなければ虚しい。幸福になろうとして他の人を真似てリア充ぶってみても、それが自分に合っていなければ無駄なこと。他人に合わせることは人間関係を築いていく上で必要ですが、他人に迎合しては何にもなりません。それは、他人に責任を押し付け、依存しているだけです。

ブランド品を持っていれば周りから承認されると考えるハラミヤの価値観は、ちょっと古いです。でも、承認されるための条件が物から事へと変わっただけです。承認を得るために他人の評価を気にし、他人の行為を真似する人は相変わらず存在します。むしろ増えているかもしれません。SNSで承認を得るためにいい店で食事したり、周りから一目置かれそうな趣味を持ったり、自分の人脈をアピールしたり…。

もしハラミヤがフェイスブックツイッターなどをやっていたら、他人に見せても恥ずかしくないキラキラした思い出ばかり載せるのでしょうね。しかし、設計図に書いてあるのは、そういういい思い出だけではありません。誰にも知られたくない思い出、ノケモノの思い出もハラミヤの思い出の一部であり、ハラミヤという人間を形成するのに重要なパーツでした。

先日観た「おとこたち」のアフタートークで、岩井秀人さんがこういうことを話していました。会社と自分を同一化している男性は多く、定年退職後違う環境に適応するのが下手。老人ホームに自分から入る男女比率は1:9。その中で自分からイベントに参加する男性はその何分の一か。碁会で対局する時もまず名刺を出してしまいそうになるし、相手が社会的にどこまで上り詰めたかを知りたくなる。

勝ち負けや帰属意識から逃れられない男性は多いということですね。怖いのかな。そういうものにこだわらなくなった瞬間、今までの自分じゃなくなってしまうのが。いい大人の男性が異世界に入り込むことは、私が思っているよりも大冒険なのかもしれません。

オノベがハラミヤに矢を向けたのはハラミヤの幻覚で、オノベ(というより、周りの人間全て)に対して無意識に抱いている恐怖の表れのように見えました。獣ヶ淵には美しい自然があるのに、ハラミヤはその豊かさを享受できていませんでした。獣ヶ淵だけではなく、現実世界を享受できていませんでした。自分が疎外されるかもしれないという恐怖を抱えている人間には、できるわけがありません。周りにいる人間全てが自分をジャッジする審査員に見えていたら、心休まる暇もないでしょう。

多分、ハラミヤは目の前のことに追われるあまり、自分が積み重ねてきたことの意味を見失っていたのでしょう。 彼は異世界に迷い込むことで、一度社会的に死にます。そして、肩書きもブランドも人脈も通用しない世界でコミュタス的経験をすることで封印していた自分を見つけ、再生することができたのです。

ハラミヤはあの街に行って帰ってきたことで、世界を愛おしいものと感じることができるようになりました。だから、狐の嫁入りを受け止めるハラミヤの笑顔はあんなに満ち足りていたのだと思います。

自分で決めて行動することは孤独なことですが、それを恐れていては何も掴めません。誰にも承認されなくても好きなものがあってもいい、と「ノケモノノケモノ」は観客に伝えているのだと私は思いました。私も周りに妖怪好きの人がいなくても、妖怪が好きだもんなあ。

■イルマ


漢字で書くと「入間」。ちょうど、人間という文字を反転した形です。人間もどき。
狩人の話によれば、ずるいやり方で作られた人間。
ということは、クローンなのでしょうか。

或いは、「人間と動物が融合し、僕は動物のパワーを手に入れたヒーローになってしまうよ~♪」(by天森平吉)てな感じで、品種改良した人間なのでしょうか。

そういえば、ネバダ州の研究所で羊と人間のキメラが開発されたんだそうです。姿は羊でも15パーセントは人間。ああ、恐ろしや。

いずれにせよ、人間の欲望によって自然の理を無視して作られた存在なのでしょう。そのため、イルマは現実世界でもあの街でもどこにも属せず、自分との間に深い裂け目を感じています。

イルマの名前がハラミヤの設計図に載っているということは、創造主はイルマの存在を知ってはいるのでしょうね。イルマの設計図が存在しないのは、イルマが創造主の手により生み出された人間ではないからなのでしょうか。それとも、設計図がない存在(モノノケなど)になってしまったからなのでしょうか。あるいは、生まれてすぐに死に、自分が死んだことに気付いてないので、死後の世界に行けずにあの街に居るのでしょうか。

親(作った人)の犯した過ちのせいで人間になりきれないという意味では、イルマは「うるう」のヨイチと同じですね。手塚治虫先生の「どろろ」の百鬼丸もか。ヨイチには両親やクレソン先生、百鬼丸には育ての親の寿海という自分を無条件で愛してくれる人が居ました。しかし、イルマにはそういう人がどうも居ないような感じがします。

欠落のある存在が不思議な能力を持つというのは、物語ではよくあることです。だから、イルマは時間を止められる能力を持っているのでしょう。

自分より相手の幸せのために行動すること。これは極めて人間らしい行為です。自然に生まれてきた人間と人の手により生み出された人間の違いは、一体どこにあるのでしょう。ひょっとしたら、自分を高めることばかりを考えている意識高い系のハラミヤよりも、イルマは人間らしいのかもしれません。

自由過ぎて何をしたらいいか分からない。自分が何のために生きているのか分からない。どんなにたくさんの人間の人生を知っても答えは出ない。ヒントすら見つからない。

自分の疎外感を克服したいイルマにとって、ハラミヤの存在は唯一の希望だったのです。そして、イルマの無垢で一途な思いにハラミヤは心打たれたのだと思います。自分のことを思ってくれる存在が居るというのは、心強いし嬉しいことです。



<つづく>