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ノケモノノケモノ④世界と修羅

 

ノケモノノケモノ③の続きです。
ネタバレしてます。

 

 

 

 

 

■狩人


狩人は今まで賢太郎さんの作品には出てこなかったタイプのキャラクターなので、私の大のお気に入りです。賢太郎さんの作る近年のキャラクターの中では、珍しく暴力性を含むキャラクターですね(「P+」でも暴力的シーンはありましたが、一方的なものではなく、仲良く喧嘩しているというか、じゃれ合っている感じでした)。相手に恐怖を抱かせて戒める感じがなまはげっぽいと思いました。最初にハラミヤと出会った時には、暴力に戒める意味合いはなかったと思いますが(イルマが怒ってたから)。多分、ハラミヤに向けて弓を引いてから再会するまでの間に、何か心境の変化があったんでしょうね。


狩人はハラミヤをノケモノと見做して弓を引きました。彼は何故ノケモノを狩ろうとしたのでしょうか。


ノケモノを殺して売ればお金が貰えるからやったのでしょうか。しかし、どうやらあの世界にはノケモノという概念がないようです。「ノケモノ」という言葉を使うのは狩人とハラミヤのみ。よって、ノケモノを狩ることに価値があるとは思えません。あの街の住民がノケモノを含めた「人間」を食べるのであれば納得がいきますが、どうなんでしょうね。

 

おそらく、あの街に来る前の自分がハラミヤに似ていたからじゃないでしょうか。つまり、人と違っている部分を隠して周りに合わせるタイプだったということです。だから、ハラミヤに当時の自分を重ね合わせて嫌な気持ちになったのではないかと考えました。それから、人と違う部分を隠そうともしないで浮世離れしているイルマのことも、ハラミヤは嫌いだと思います。ハラミヤが私の仮定したような人物だったらの話ですが。自分が我慢してきたことを初めから我慢していない(ように見える)人間に、苛立ちを感じる人は少なくはないと思います。


狩人はあの街で生きることで自分の問題を解決できたように思えますが、そんなに簡単にいくものでしょうか。例えば、モテない非リア充に恋人ができて結婚したからといって、必ずしもモテるリア充に嫉妬しなくなるわけではないですよね。現状に満足できずに自分を他人と比べてしまうのは、自分の過去に未練や思い残しがあるからです。それが、冷静に考えれば敵でもなんでもない人間を敵にしてしまう。言ってしまえば、一人相撲。自分自身の作り出した幻影との戦いなんですよね。狩人の場合はそれに将来への不安なども混じって、余計にこじらせてしまっているのではないかと思いました。


狩人の設計図があるならば、イルマが彼の設計図に自分の名前を発見して出会い、上手くいかなかったという過去があるはずです。そういう過去があるならば、新たに自分と関わりを持つことが設計図に記されている人間を探して出会うのが嫌にならなかったのでしょうか。狩人のと比べてハラミヤの設計図にはいい出来事が書いてあったから会いたいと思ったのでしょうか。


それに、70億冊読んでようやくハラミヤの設計図に自分の名前を見つけたというところに、イルマの孤独さと一途さが表れているのに、その前に狩人の設計図に名前を見つけていたら、それが薄れてしまいますね。まあ、いいんですけど。


イルマとの出来事が狩人にとってなんでもないことならば、設計図には載っていないでしょうね。秋山さんの設計図にハラミヤとの文化祭の出来事が載っていなかったように。しかし、イルマと狩人の確執を匂わせる描写があるので、なんでもないこととは思えません。


それとも、あの街で長い時間を過ごすと、設計図は消えてしまうのでしょうか。あの街の色に染まると、人間ではなく生き物でもない存在になってしまうということかもしれません。


あるいは、狩人が死んでいるならば設計図は消えているので存在しません。


金比羅船々


蕎麦屋で店員二人とイルマが歌っていた曲です。香川の金刀比羅宮を題材にした日本の民謡で、お座敷唄として使われています。そのためか、「いちどまわれば」と最後につければ何度でもループして歌うことができるようになっています。金刀比羅宮で祀られている金毘羅権現は、海上交通の守り神として信仰されています。というわけで、港のある不思議な街で歌う曲としてぴったりなのです。ちなみに、金比羅権現の眷属(使者)は天狗とされています。天狗はしばしば子供や若い男性を攫って、自分の相手をさせる妖怪です。昔は神隠しが起こると、大体天狗か鬼か狐のいずれかの仕業にされました。余談(´▽`)


■ノケモノ


「ノケモノというケモノはいません。そう呼ぶ人がいるだけです」とイルマは言っていました。この作品の中で一番印象的な台詞です。ノケモノは集団が作り出すものです。ある者を境界線の外にはじくことでノケモノを作り、それを媒介に集団の結束を強めるのです。


そういえば、昭和天皇もおっしゃっていたそうですよ。「雑草という草はない」と。


■運命

あの図書館には生き物の設計図が保管されています。門番が持っていた杖の形がXとY(染色体)ということは、設計図というのはDNAのことも表しているのかもしれません。DNAがほぼ一緒の双子が同じ環境で育っても性格や長所や短所は同じにはならないし、違う人生を歩みますよね。ハラミヤの設計図に間違いがあったのは、強い意志を持って行動したら、運命の方が味方してくれたということなのでしょう。ということは、ハラミヤの設計図にイルマとの再会が書かれていなくても、再会する可能性はあるわけです。運命を自分のこれからの選択の言い訳にしてはならないと賢太郎さんは伝えたかったのでしょうか。


■別れと孤独


近年のKKPは、人と出会って自分の欠落を埋めてめでたしめでたしという作品がほとんどでした。しかし、今回はその先を表現しています。孤独というものをあるがままに受け入れているのです。孤独なんて当たり前じゃん、という感じで。


孤独であってはいけない、何かと繋がっていなければならないという強迫観念に囚われている人が、世の中には多いです。それは、身近にいる人間やマスコミからそういう思想を押し付けられてきたからなのでしょう。しかし、孤独ってそんなに悪いことなのでしょうか。孤独でいることは不幸なことなのでしょうか。


私は転勤族の家庭で育ち、成人後もいろんな土地を転々とし、その都度人間関係を断ち切られてきました。そのため、どこへ行ってもいくばくかの居心地の悪さを感じてしまいます。突き詰めて考えれば、それはどこへ行っても同じだという気楽さにも通じるんですけど。孤独が自分の標準装備って考えておいたほうが気楽に生きられますよ。人に優しくしたくなるし、人の親切をありがたいと思えるし、自分が何者かより何を成すべきかを考えるようになるし。


人は誰しも内面に自分だけの宇宙を持っていて、それを世間と刷り合わせながら生きています。その宇宙の奥深くは誰にも分かりません。誰もが孤独を抱えて生きています。しかし、孤独を忘れられる瞬間はあります。イルマはハラミヤと一緒にいる間は孤独を忘れていられたのです。


会いたい人に会って、その人の役に立つことができたこと。それで内面が充実していれば、たとえその後孤独になっても人は幸せでいられます。別々の道を歩んでも、お互いの事を認め、労り合う。そういう自律した個の関係が「ノケモノノケモノ」では描かれていたのだと思います。


適応するのは大変そうですが、私はイルマが人間界で暮らしたければ暮らせばいいし、あの街に留まりたければ留まればいいと思います。イルマの好きにすればいいのです。ずっと繋がっていることが絆ではないです。


ただし、孤独と孤立は違いますよ。


ハラミヤを見送った後、イルマが淡々と受け入れる孤独。
その深さに私は胸が痛むのです。